庵治石の魅力
六百五十年余りの歴史に磨かれた天下の銘石
庵治石の歴史は古く、安土・桃山時代には京都男山の岩清水八幡宮再興、江戸時代初期には高松城築城や大阪城大改築にも庵治石が使われたという史実があります。
庵治石が全国的に知られるようになったのは、大正時代から昭和の戦前にかけての時期。採石や加工の知恵と技術、技能は長い歴史の中で伝統の技として磨かれ、その匠の技は、「天下の銘石・庵治石」とともに「庵治産地」の名を全国に知らしめてきました。
庵治石は平安時代後期から使われ始め、その歴史はおよそ1000年。製品加工の発祥は今から650年余り前の 1339年 (暦応2年)。
その年月こそ庵治石の信頼の証ではないでしょうか・・・・。
最大の特徴は世界に類のない「斑(ふ)」模様
きめ細かな地肌であるがゆえに風化に強く、磨けば磨くほど艶を増す庵治石。
その最大の特徴は、「斑が浮く」という現象です。庵治石の表面は、黒雲母が入り混じったまだら模様。
まだ粗い原石は、磨くほどに濃淡が浮き出て、平坦なはずの石の表面が奥行きを感じさせる二重のかすり模様を見せてくれます。
その模様は、高い山々にかすみたなびく雲、また屋島から舞い落ちる桜の花びらにもたとえられ縁起物としても珍重されてきました。
庵治石の別名は「花崗岩のダイヤモンド」
庵治石の特徴は、緻密で小さな結晶。
庵治石の硬度は水晶と同じ7度。
吸水率はわずか約0.2%。
※庵治石の実績
・有名な建造物
首相官邸、東京オリンピックの聖火台、長島スパーランドの雪見灯籠、フィレンツェ市役所前広場のブロンズ像の台、六本木ヒルズ内レストラン、カナダ大使館4階中庭、高橋尚子金メダル記念碑(千葉県三石山観音寺)、モエレ沼公園(北海道)、など多数
・有名人のお墓
高橋家(元首相)、大平家(元首相)、石原家(俳優)、佐治家(サントリー)、手塚家(漫画家)、霊友会教団恩師、など多数
最高の庵治石を生み出す大丁場
庵治石の産地は、香川県の庵治町と牟礼町にまたがる霊峰・五剣山のふもと。ここには、一般の人が立ち入ることのできない神聖な“丁場 ”が50ヵ所ほどあります。
なかでも、最良質の庵治石が今なお大量に眠る宝庫・・・それが大丁場です。
庵治石のなかの庵治石、それは大丁場から生まれる石です。
大丁場は庵治石の原石を安定供給できる唯一の丁場。
原石の厳選によって好みの色調を選び模様あわせが可能。
歴史と伝統に育まれた匠の技
庵治石は、その硬さゆえに職人泣かせの石と言われてきましたが、一方で庵治石の硬さは、石を加工する石工たちの技を高め、磨き上げてきました。
かつては、採石から加工、字彫りまで、すべて職人の手作業で行っていた石の製品づくり。
長い年月のなかで熟成されたその匠の技は、ハイテク化した加工技術にも脈々と息づいています。
砥石の研磨ならではの艶と色の深み。
光沢のレベルはほかに例のない94〜 98。
庵治石を高い精度で加工するのは、石工の技を受け継ぐ最先端ロボット。
最終仕上げは、継承された匠の技で・・・・・。
本物の強さ、美しさは変わることなく
私が、お墓参りに行くたびに思うのは、同じ頃に建ったほかの墓石は、年を経るにつれて色があせ、艶もなくなり、風化していっているのに、うちの墓石は風化しつつもいつまでもきれいなこと。
墓石は何度も造るものではないだけに、ご先祖様の目利きと決断力にはいつも感心するものです。
『同じ造るならいいものを・・・』とは使い古された言葉ですが、まこと先人の言葉とは真髄をついているといつも思います。
私も会社設立に際して、大丁場の採石現場から加工、仕上げまで、すべての工程を見学させていただき、庵治石が長い間、天下の銘石として親しまれてきた理由が理解できました。
庵治石の希少性はもちろん、製品ができるまでにこんなにたくさんの人の手を経て、丹念につくられているとは思ってもいませんでした。
また、見学に来た方は100%庵治石に決めるという話にも、思わず納得してしまいました。
お客様にも体験していただきたく、当社ではご契約された方の現地見学ツアーも行っております。
2004/05/16 一部庵治展示会にて頂戴したパンフレットより抜粋
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